Note
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2002年10月23日、モスクワで劇場占拠事件がありました。
数十人のチェチェン独立派ゲリラがミュージカルを観ていた観客を中心に922人の人質を取り、故郷チェチェンからの撤退と、政治犯として投獄されている同朋たちの釈放を求めるという事件でした。もし治安当局との戦闘になれば、ロシア特殊精鋭部隊に対抗できるはずはなく、またプーチン大統領が譲歩するとも思えない‥‥、ゲリラ全員が殺されることを前提として、それでも、故郷チェチェンでロシアに殺された大切な人の復讐のため、今なお故郷で多くの命を奪いつつあるロシアに一矢でも報いたいと思い、ゲリラは劇場を占拠したのだと思います。

最後は人質全員を道連れに死ぬ、それが予定の行動。
劇場中央には120キロの爆薬を仕掛け、ボタンが押せば劇場の建物は一瞬に崩壊し、自分達も、人質も、ロシア特殊部隊員も全員、死ぬ。起爆装置のボタンはある女性ゲリラの手に委ねられたそうです。
チェチェンの武装ゲリラには多くの女性も参加しています。多くは戦闘や弾圧で夫を殺された寡婦、あるいは息子を殺された母。起爆装置を手にした女性もそうした女性の一人であったと思われています。

26日、ロシア特殊部隊は突入しました。ゲリラは殺害されました。
幸いなことに起爆装置のボタンは押されませんでしたが、特殊部隊の使用したガスによって200人近い人質も命を落としました。


特殊部隊が突入した時、起爆装置を持った女性はいつでもボタンを押せた。
特殊部隊とゲリラの戦闘、ゲリラに勝ち目はまったくない。
いつでも押せた、でも押さなかった。

肉親を殺したロシア軍、ロシア人に対する彼女の憎しみは強かった筈、固い意志をもった同志であった筈、そうでなければ起爆装置をまかせられることもなかったでしょう。

何故、ボタンを押さなかったんだろう。
復讐の鬼になることを誓った、でも、何故、押さなかったんだろう?
ボタンを押さずに、仲間と共に身体中に銃弾を浴びて死んだ。
いつでも押せたのに‥‥、押すことはいつでも出来たのに‥‥
何故?

殺戮は殺戮の連鎖しか生まない、憎しみは憎しみの連鎖しか生まない。
もし、最期の瞬間、彼女の脳裏に殺された自分の肉親と人質達の姿が重なり、残された自分と人質の家族の姿が重なってボタンを押さなかったのなら‥‥

事件解決への方針、部隊突入に至るまでの経緯等、おそらくロシアは事実をありのままに公表してはいないでしょうし、殺されたゲリラが証言することも出来ません。だから数十人のゲリラと200人の人質が死んだ真相は永遠に闇の中。
人質をとって立てこもるゲリラの行動は許されるものではないけれど、「戦争」として行われる一般市民の殺戮も許されることはありません。
どこかで憎しみの連鎖を止めることが出来ていたら、こんな事件は起きなかった筈です。

「ねぇ、もう殺しあうことも、憎みあうことも止めようよ‥‥」
そう、想います。